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日本代表が本当の意味で「スピード」を武器にする為には頭脳とメンタル強化が不可避

ブラジル戦の大敗によってマスコミの監督批判が徐々に聞かれるようになりました。
当方は長友も本田もスタメンから外すアギーレ監督の「育成を主眼に置いた」采配は良いと感じています。
興行的、経済的な側面から言えば、親善試合であろうとも日本代表が勝利する事が重要ですが、今の時期、新戦力を召集した中でのチームマネジメントとしては昨日のスタメンはチームにとって貴重な経験になったと思います。
次のホンジュラス戦、豪州戦でも負けるようであれば多少の方針転換は必要かも知れませんが、4年後の勝利を見据えたチームマネジメントとしては、アギーレに初心貫徹して欲しいと願っています。
アギーレが言及した
「Jリーグでのパフォーマンスを国際試合でも発揮できるのか見極めたい」
という視点は非常に重要だと思います。
プロリーグの誕生以降、日本サッカー界は急速な進化を遂げましたが、試合運びや局面での対応力は、まだまだ世界標準に達していません。
技術力は飛躍的に向上しましたが、選手の判断力や決断力はアマチュア時代から大きく変わっていない気がします。
「日本の強みはスピード」という表現をする専門家が多いようですが、これは一面的な見方であると当方は感じています。
確かに、裏に抜けたり、サイドを駆け上がる「走力」は世界トップレベルです。
しかし、サッカーにおけるスピードは
パスコースを選択する、
シュートなのかパスなのか判断する
守備の際に寄せに行くのか間合いを取るのか判断する
ボールを奪われた際にどのようなポジショニングを取るのか判断する
などなど「判断の速度」を持って図られるべきであると考えます。
そして、選択した行動を実行に移せるだけの技術力が備わって、初めてサッカーのスピードが上がる訳です。
日本の場合、選択した行動を実行に移せる為の技術力は向上しました。
しかし、まだまだ判断速度は強豪国に比べて劣っています。
Jの試合におけるスピードと海外の強豪相手と対する際のスピードに大きな違いが生まれる理由は、この「判断速度」の差に起因すると思います。
Jリーグではパスが繋がるのに強豪国との試合ではボールを奪われまくる姿はW杯でも頻繁に見られましたが、日本と海外では、球際への寄せの速さが全く異なると感じます。
強豪国は対戦相手のトラップやドリブルが少し大きくなってしまった場面、相手選手とボールに距離が出来た瞬間に飛び込んできます。
Jリーグだと、そこまで寄せが早くないので多少ボールが足元に収まらなくとも立て直して前に進む事が出来ますが、強豪国と対戦する時は、少しでもボールと体の距離が空いてしまうと、その空間に相手が飛び込んで来る訳です。
昨日の試合で何度も目にした光景です。
この原因として、日本人選手のトラップ技術は強豪国選手に比べてレベルが低いという側面はあります。
その点は技術を磨かなければなりません。しかし根本的な原因は技術力の差ではないと思います。
最も重要な問題は技術の差でも体力の差でもありません。敢えて言うなら反射神経の差ではないかと考えます。
一つ一つのプレーに「自分の活路」を見出そうとする姿勢、つまり「ワンチャンスを絶対に逃さない」という意識が日本人選手に比べ、海外の選手の方には徹底的に刷り込まれていると言えるかも知れません。
以前も言及したので海外のサッカー選手と日本人選手のメンタルについては詳細を割愛しますが、何を背負って戦うのかという部分が、日本人選手と南米や東欧、アフリカの選手では大きく異なるという点がプレーの速度や当たりの強さに影響するのは必然の結果でしょう。
しかし、この「メンタルの違い」を分析し、日本人にも理解出来るように「世界で通じる戦い方」を指導出来る外国人監督は本当に少ないと感じます。
オシムなどは非常に優れた監督でしたが、それ以外の監督は「日本社会の構造」「世界基準と日本基準の違い」について考察が足りなかったと思います。
ザッケローニは非常に積極的に日本を理解しようとしてくれましたが、それでも日本人の弱点を克服する為の指導法を確立するまでには至りませんでした。
こういった事を理解する為には日本人の民族的、社会構造的な特性、日本の学校教育における方向性、地域社会の成り立ちなどを理解する必要があると思います。
サッカーの事だけを見ていても日本代表の「脆さ」の原因は見えてこないからです。
日本サッカーの課題は日本社会が抱える課題そのものだと思います。
こういった状況が「代表には日本人監督を」と訴える意見が生まれる土壌となるのですが、当方は日本人で「世界基準と日本基準の違い」を理解している人なんて日本サッカー協会内を見渡しても一握りしか存在しないと感じています。
日本の事を熟知しており、その上で海外のサッカー事情にも精通している人は本当に少数派です。
大半の人は海外に詳しい反面、国内問題に疎かったり、国内での経験は豊富なものの海外文化に対する理解が足りなかったりします。
加えて、そういった「違い」を理解している人は、理解しているが故に日本サッカー協会の運営方針や幹部の姿勢に疑問を感じており、協会と距離を置いているように見えます。
日本の社会構造は「チャンスを逃した者にも生きる道がある」という社会です。
ある意味社会的な受け皿が豊富で福祉国家としては世界のトップレベルにあると思います。20年前に比べたら景気の低迷で多少は格差社会へと移行しつつありますが、まだまだ餓死者や貧困層の数は他国よりも少ないと思います。
高度成長期の日本は競争原理が良い方向に働き、努力の対価が目に見える形で手に入る社会でした。そういう社会への適用性を磨く為の学校教育現場においては、応用力はないものの従順でストイックに自分の「役割」に専念出来る人材が次々と育っていました。
近年は経済至上主義の崩壊によって価値観が多様化し、親や教師が「明確なゴール」を示せなくなっています。
それに伴い必ずしも周囲と「競争」する必要が無いという価値観が浸透し、人生の選択肢は広がりを見せています。
その反面、ストイックに自分に「負荷」を掛けて物事に執着する若者が激減しています。
「最近の若者は根性が無い」と感じる我々の世代とは、そもそも生きてきた世界が違う訳です。
我々の時代は、学校での成績、運動会での徒競走、全てにおいて順位を付けられる教育の中で育ちました。
それが子供達の優越感や劣等感を生み、時にはイジメに発展してしまう事もありましたが、自分の「得意分野」に早くから目覚める事にも繋がりました。
落ちこぼれた経験のある者は、自分がどうすれば「生き残れるのか」という事を考える機会を得る事も出来た訳です。
しかし、今の若者には、そういった機会は稀です。
幼少期から競争原理と程遠い世界で生きてきた若者が、ある日突然「成人した」という判断をされて社会に放り出されても、競争社会の現実に対応出来るとは思えません。
これはサッカーにおいても同じです。
何故自分はサッカーをやるのか?
サッカー以外に選択肢はないのか?
昔に比べればサッカー選手を志す子供の数は増えました。
しかし自分で真剣に考えてサッカー選手という職業を選び、明確な目標を持ってキャリアアップに努める若者は昔に比べ少ない気がします。
昔はサッカーを取り巻く環境が劣悪でした。サッカーを仕事にするという選択は、相当の覚悟と犠牲を必要とする行為でした。
しかし、現代においてはサッカー選手という職業は「わざわざイバラの道を歩む」という選択ではありません。
勿論、才能や努力が無ければ到達できない狭き門ではあります。
しかし、サッカー選手になるか否かで苦悩する若者よりも、単純に「成りたい」と憧れる若者の方が多い時代になりました。
サッカーが出来る環境も随分と整備されてきました。
「死に物狂い」でサッカーに邁進するのではなく、楽しみながらサッカーをする選手の方が増えています。
育成現場においてもスパルタ指導を禁止し、プレイの楽しさを伝える指導が浸透してきました。
しかし「楽しさを伝える」事は「厳しさを教えない」事ではありません。
努力する必要性、チャンスを逃さない嗅覚といったハングリー精神が希薄なまま世界と対峙しても勝負には勝てません。
シルバー世代の元日本代表選手の大半が口にする「昔の日本代表は、もっと魂のあるプレーをしていた」という感想は、決して的外れな意見ではないと思います。
決して多くは無い「チャンス」をモノに出来なければ「未来が無い」という環境で戦う選手は、全神経を研ぎ澄ませて試合に臨みます。
失敗しても再チャレンジする機会が豊富な環境下で勝負してきた選手と、ワンチャンスしか与えられない環境で白黒つけてきた選手のメンタルには相応の開きが生まれるのは必然です。
技術や知識はハイレベルでも判断力や決断力が欠けている現代の若手サラリーマンと泥臭い仕事しか出来ないが、決断力と行動力のある団塊世代。
サッカー界においても、この構図は類似していると感じます。
これから社会に巣立つ若者、そして若い日本代表が鍛えるべきは「メンタル」と「判断力」だと思います。
これは企業やサッカー界だけに任せて良い問題ではありません。
各家庭、学校教育の現場で、子供と向き合う我々の世代が「大人になれば競争社会からは逃れられないのだ」という「現実」を伝え、その中でどのように勝利していくのかという「手本」を示してあげる必要があります。
つまり我々自身が言い訳や回避に終始する「負け犬」であったならば、子供達に教えて上げる事は困難になる為、我々自身も挑戦し続けなければなりません。
日本代表が世界レベルと互角に戦えるようにするためには、我々の社会における教育の在り方を見直す必要があると感じます。
競争原理を復活させ、自らの人生を自ら選択出来る子供を育てなければならないと感じます。
「いまどきの若者」の姿は、我々の世代が作り上げたのだという事を忘れてはいけないと考える今日この頃です。

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ブラジル戦惨敗の教訓。「繋ぐ」より「奪う」プレイを!

アギーレは「アジアカップのメンバー選考を兼ねた準備試合」だと言った。9月、10月、11月に行なわれる親善試合6試合を、当初からそう位置づけていた。ブラジル戦といえども例外ではなかった。
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